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生きがい

初めの記事に、人生と企業経営に共通するところがあると少し書いた。

それは、ひょっとしたら人生の目的を「他人への価値提供」と捉えているからかもしれない。

株式会社にとって、利益を上げることが根源的な目的で、
そのために社会に様々なサービスを提供しているとしたら、
人間の目的は自己の幸せの追求で、
そのために家族、恋人や友人、その他の人々に対して
何らかの「価値」を提供している。

そんな風に思う。

他人に価値を提供することで、企業の場合はお金を貰うが、人間の場合は「ありがとう」を貰うこともある。
だから、決して金持ちになる必要はない。

でも実は、この「価値」には漠然とだけど大きさがあって、
差別化された「自分だけ」の価値を提供している人ほど、
他人から必要とされ、生きがいを感じることができる。

「差別化」された状態は、自由な競争により獲得する場合もあれば、
子会社が親会社から受注するように、状況により自身の競争力に関係なく付与される場合もある。

文才のある人は、日本中の人を感動させ、価値を与えるだろうし、
一人息子は、特別な才能がなくても、親孝行をすることで両親に価値を与えるだろう。

どっちが幸せかは、その人次第だけど、
人それぞれの「価値観」という物差しにしたがってそれには大きさがあって、
多くの人は、他人への提供価値を最大化することを目的にしている。
企業と自分をよく重ね合わせるのも、そんな考えが根源にあると思われる。

自己完結で刹那的な楽しみを積み上げて幸せを主張する考え方もあるけれど、
人間、自分のためだけに生きるのは限界がある。

他人のために生きる人は強い。

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自分の「正義」を司る左脳

人が意思決定をするとき、決定される行動(do/don't)は、
欲求(want)と正義(should)に従って導かれる「理想解」に、
フィージビリティ(can)やリスク(may)など、外部環境に起因する
制約条件が加わり、「現実解」に落とされるものと思われる。

ここで、欲求とは右脳的、感情的な好き嫌いや快不快を指し、
例えば、異性に抱く恋愛感情などは、好きになった理由を考えても、
論理的には説明がつかないのが通常である。
(過去、好きになった人の共通点という形で表されるしれないが、
大抵の場合、その法則が将来にわたり適用しえることはない)

一方、ここで言う正義とは、左脳的、論理的に導かれるあるべき姿
またはそれを導くロジックを指し、
例えば、
①重度のマナー違反を侵した人を発見した場合、直ちに注意すべき
②タバコのポイ捨ては重度のマナー違反に当たる
という考えの人が、
「タバコをポイ捨てしている人を見つけたら注意する」
というように、自分の中の原理原則から演繹的に導かれるものである。
(このように、自分の行動原理であり、いわば「法律」のようなものであるから、
多少仰々しいが「正義」という呼び方にしている)

右脳の働きを論理的に説明することは難しいので、
このブログで自分の考え方、学びや気づきを整理する上では、
まずは左脳からくる「正義」に寄与する部分を紐解き、記録する。

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はじめに

「決めること」は難しい

人生の案内人は、時折私たちに尋ねます。

“この先、この道は左右二つのルートに分かれます。どちらへ進みますか?”

“安全で楽しめるのはどちらですか?”

“感じ方は人それぞれなので何とも言えません。
インターネットなどに情報が載っていますし、自己責任で決めて下さい”

何かを捨て、何かを選ばなければいけないとき、
皆さんはいつもどのように決めていますか?

“インターネットで調べたところ、
左のルートの方が後々の分岐が多くて
つぶしがきくみたいだから、左ルートにしてくれ”
と言いますか?

“見ていると右ルートに行く人のほうが多いな。とりあえず右で”
と言いますか?

“隣のチームと相談して同じ方向へ行くから、ちょっと待ってて
と言いますか?

「実家に近いところで働いて親の介護をするか/転勤のある仕事につくか」、
「自分の趣味にお金を使うか/子供の教育にお金を使うか」など、
(カード会社のCMにもあるように、)人生には大小様々なトレードオフが絶え間なく発生していて、
それらに直面するたび、私たちは「自己責任」において、意思決定を迫られます。

しかしながら、私たち日本人は特に、
大人になる過程でピタゴラスの定理や古文の四段活用は習いますが、
意思決定をする訓練はあまり受けません。
(就職活動を除けば)自分の人生を自分で決めることはほとんどなく、
「親」か「自分の偏差値」が決めてくれたコースを、
色々な不平不満を言いながら進んでいくだけです。

将来やりたいことがない
自分は何をしている時が楽しいかわからない
高校生や大学生からは、こんな相談をよく受けます。

私自身も、様々な局面で「自分らしいベストな判断」ができるレベルには到底なく、
決めなければならないところで、それを先延ばしにしてしまっていることもあります。

人生において限られた資源に優先順序をつけて投下するさまは、
さながら企業経営に似ています。
コンサルタントの卵として企業戦略に関わる傍ら、自分の人生においても、
一貫した「自分らしさ」に照らして、敢然と意思決定ができるようになりたい
という思うようになりました。

第一歩として、自分自身の考え方・日々の生活における学びや気付き
を言葉で整理することにしました。
その過程で綴った文章が、読んで下さる皆さんの頭の整理、心の整理のお役に立てれば幸いです。

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