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自分の「正義」を司る左脳

人が意思決定をするとき、決定される行動(do/don't)は、
欲求(want)と正義(should)に従って導かれる「理想解」に、
フィージビリティ(can)やリスク(may)など、外部環境に起因する
制約条件が加わり、「現実解」に落とされるものと思われる。

ここで、欲求とは右脳的、感情的な好き嫌いや快不快を指し、
例えば、異性に抱く恋愛感情などは、好きになった理由を考えても、
論理的には説明がつかないのが通常である。
(過去、好きになった人の共通点という形で表されるしれないが、
大抵の場合、その法則が将来にわたり適用しえることはない)

一方、ここで言う正義とは、左脳的、論理的に導かれるあるべき姿
またはそれを導くロジックを指し、
例えば、
①重度のマナー違反を侵した人を発見した場合、直ちに注意すべき
②タバコのポイ捨ては重度のマナー違反に当たる
という考えの人が、
「タバコをポイ捨てしている人を見つけたら注意する」
というように、自分の中の原理原則から演繹的に導かれるものである。
(このように、自分の行動原理であり、いわば「法律」のようなものであるから、
多少仰々しいが「正義」という呼び方にしている)

右脳の働きを論理的に説明することは難しいので、
このブログで自分の考え方、学びや気づきを整理する上では、
まずは左脳からくる「正義」に寄与する部分を紐解き、記録する。

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