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欧米式トップダウンの実際

「欧米式」マネジメントを目の当たりにする機会があった。

フランス人のボス(ピエール・仮)がロシア人の女性マネージャ(ナターシャ・仮)から報告を受けている。ビエールの英語の訛りがひどく大変聞き取りづらかったが、会話の流れだけを追うと、以下のように展開した。内容は公開できないので、ビデオの買い替えに例えてみる。

「タスク3番の、壊れたビデオの買い替えはどうなっている?」

「既に注文済みのため、来週にも新しいプレイヤーが届きます」

「Youtubeには対応しているのだろうな?」

「いいえ。家電メーカーにも確認しましたが、Youtube対応機種は出ていないとのことです」

「ガッデム!Youtubeが観れないなら、買い換える意味がないだろうが!うそつけ。対応機種がないなんて信じないぞ」

「本当です、ピエール。メーカーとのやり取りをご覧になりますか」

「観ない。対応していないわけがない。そんな機種を買ってくるなんて、全く理解できない」

「ですから、ピエール、世の中にはまだそういった機種はありません」

「もういい。お前とは話す気がしない。今まで一体何をやっていたんだ。とにかくYoutube対応機種を買って来い!」

と、こんな具合。文字では表現しきれないが、ピエールは、まるでパソコンがフリーズして3時間分の仕事がパーになったかのような激昂っぷり。

何が表現したかったかと言うと、強力なトップダウン→Yes。ロジカルな問い詰め→No。

日本にいるときは、欧米のマネジメントといえば、「トップダウンの強い推進力」「ロジカルな牽制機能」と憧憬を抱いていたが、後者については、必ずしもそうでないのかもしれない。日本における無責任な合議制が依然グローバル化の潮流の中で大きな課題であることに変わりはないが、だからといって欧米のマネジメント方式をそのまま導入すれば良いわけでないことを肌で感じた。

欧米で、強力なトップダウンが実は半分くらい理不尽に行われていたとして、それでもうまくいくポイントは、受け皿の強さによるところがあろう。

今回の件では、半ばあきれている私をよそに、当事者のナターシャは「驚いた?いつもこうなの。これでもましな方」とケロリ。やり取りの最中も、しょんぼり弁明というよりは、逆に誤解を解こうと、声をはりあげるくらいであった。彼女はまだ若く、決しておばさんという歳ではない。

今日の記事の中では答えを見つけることは出来ないが、欧米式を取り入れようとして、欧米のマネジメントを招聘しても、受け皿が日本人では機能しない。日本企業のための高精度・機動的で遡及可能な意思決定の方法とは何だろうか。

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ロシア人のサービス品質

難しい話は休憩。折角、ロシアに来ているのだから、思ったことを書き留めておきたい。


よく知られていることであるが、ロシア人のサービス品質は最低である。

例えば、スーパーマーケットにて、「パスタのスープはどこですか?(英語)」「ア?※△□×#☆(ロシア語、但し仏頂面。ろくな案内なし)」

道端の店にて、「トロリーバスのチケットはどこで買えますか?(ロシア語、但しガイドブック棒読み)」「・・・(無言で首を振ったきり)」

さらに、パスタチェーン店では永遠に注文を取りに来ず、従業員だけは一杯配備されているので客をほったらかして井戸端会議を始める、届けるといったものを届けない、約束を無視する・・・など、例を挙げればきりがない。


背景として、社会主義環境下で、長らくモノの供給側の立場が強かったこと強く影響しているという。お客さまという概念がない。


ところが、うちのハウスキーパーのサービス品質は完璧である。 今日、アパートに帰ると、なんと玄関のきれていた電球が直っているではないか!さらに、驚くことに出しっぱなしだったドレッシングが冷蔵庫に入れてあるのだ。

また、これはいつも感激しているのだが、服がまるで日本人が畳んだのようにかきれいにたたんである。台風通過直後の様相を呈していた部屋の散乱物が、きれいに片付けられている。

加えて、これは偶然かもしれないが、タイミングがこれまたいつも完璧(彼女は週1回来る)である。寝不足にも関わらず洗濯をしなくてはならない時や、客先に行くのにアイロンのかかった服が無い時に、図ったようにやってくる。もしローテーションを計算していたら天才。


というわけで、来てもらう回数を増やし、さらに日本からお土産を買っていくことにする。彼女のプロ意識なのか思いやりなのかは分からないが、雪が降りしきる中、ほんの少し心をあたためてもらった。


・・・家へ帰ってくると、いつもダニで体がかゆくても、そんなの関係ない。この素晴らしき普通のサービス品質を見てほしい。

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モスクワのコンサート

こういうことは感動の冷めぬうちに書き留めた方が良いので、書き留めておく。
今日はオフィス近くのДом музыкиでオーケストラを観に行った。

記憶に残る限りでは日本でもオーケストラを観に行ったことはないが、音楽とアートの国ロシアに折角来たのだからと思い、また右脳でも鍛えようかと思って、会社の近くに絶好のスポットがあったことも手伝って足を運んだ。クラッシック音楽に造詣の深い方々に対しては、以下、完全素人のコメントをご容赦いただきたい。

モスクワでも有名という何とかという指揮者の下、何とかというオケの演奏を聴いたのだが(パンフレットはロシア語のみ。まぁ、文字は左脳なので今回の鑑賞の目的には関係なし)、この何とかという指揮者を観察していると、顔が怪物のごとく恐ろしいほかは、踊っているように見えるだけでとても「指揮」しているようには見えない。

それでもこの指揮者の全身を使った表現から、何かを受け取ってそれをそれぞれが体現して、それでいてうまくまとまっているのがオーケストラなんだな、と納得した。

音楽を聴きながら、コンサルティングという仕事は、世の中の高次元の事象を主成分分析でもして、なるべく少ない次元で表すことだと、ふと感じた。それは、コンサルティングがある解を求める仕事であり、その解に向けて組織を動かすものだからだろう。つまり、なるべく単純明快で、客観的なほうが良いのだ。

反対に、今回のようにオーケストラを聴く場合、折角入ってきた音色をフーリエ変換して、この周波数帯域ごとに分解した上で優先順序をつけても仕方ない。まさに、全身であびるように高次元の情報を受け取り、高次元のまま何かの反応がおきるのだろう。それが右脳だと理解した。

極端に例えると、音楽を聴いて、「あれ?音がずれた?」といちいち思っていたらなんでも次元圧縮する左脳病。入ってきた情報を、「よい」⇔「悪い」の1次元に整理しようと頭が必死。「海の中にいるみたい」なんて思う人はいないだろうけど、極端に例えると、高次元のものを表現するとすれば、今のように別の高次元のもので例えるしかなかろう。

長くなってしまったが、要するに、指揮者の全身を使った表現から、何かを受け取ってそれをそれぞれが体現して、それでいてうまくまとまっているのがオーケストラ、に尽きる。

折角右脳に刺激を与えたのだから、左脳的なことをひとまずおいておいて、ロシアでのオーケストラ鑑賞は日本での温泉のようなものだった、とだけ最後に言っておきたい。

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